「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか?
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日本語を使う人必読の内容


●暮らしの中の仏教語とは・・・

私たちは仏教語に取り囲まれている。
仏教語を使わずには一日も暮らせない。
もし「仏教語を使ってはならぬ」という
御布令が出されたら、無言で暮らす以外ないだろう。


法話「暮らしの中の仏教語」メールマガジン 準備室

●配信頻度 10日に一号


こちらは、サンプルです。

今日の暮らしの中の仏教語  準備一号 「老人・老師・老心」
老人・老師・老心
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 老人クラブ発行の新聞を読んでおりましたら、
会員増強がままならぬのは老・人・という名称にも
原因があるとの意見が、出ておりました。
「おれはまだ若いつもりだ、老人の仲間になど入り
たくない」と考える老人が多くなったようですね。


 でもちよっと待ってください。
老人という二文字に対するイメージにこそ問題があります。
 確かに「老」には年をとったとか衰えたという意味があります。
生老病死というような使い方では、そのような意味になるでしょう。
 でも「老」にはもう一つ、経験を積んだとか徳が高いという
意味もあることを忘れてはなりません。寿老人は福の神ですし
仏教での老人は老僧に対する敬称です。
正受老人という高徳の僧がおられたでしょう。
また宗師に老大をつけ老大宗師と言えば、宗門の師となって
修行僧を導く高徳の僧のことで、若い人にも使っています。
老師という語はこの老大宗師の略で、敬称として三十歳代や
四十歳代の僧にも使われていることを皆様御存知でしょう。
「若いのに老師とは何ごとだ」などとおこる僧はおりません。


 「老人」にはこのように「尊敬すべき人」という意味も
内蔵されていることを知り、老人と呼ばれたらむしろ誇りに
思ってよいのではないでしょうか。
またそう呼ばれるにふさわしい老人になりたいものです。

 中国は親孝行の国で、子供が親を尊敬しているのはもちろん
父を老子と呼び、有り難い親心を老心と言ってとても大切にしています。
仏教もこれをとり入れ、仏の心は老心に他ならぬと説明してまいりました。

 つまり親が子供を思いやる如く、仏様も衆生を思っているとするのですね。
仏の慈悲心は共に喜び、共に悲しみ、子の心を我が心とする
親心・老心と同じです。
 老心を持つ人が老人であり、高徳の人の集まりが老人クラブです。
老人のイメージを変えてもらえるよう、精進することに致しましょう。




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